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■ 浅井昭衛氏は付嘱の人か2009.12.24



 「迷走する顕正会を斬る」が発刊されて、早くも半年が過ぎんとしている。この間、顕正会は完全な黙殺を続けているが、これは反論不能ということだろう。
 私は本書の出版に際し、微力ながらお手伝いをさせてもらった。それゆえに手前味噌になるが、まさに本書は顕正会を一刀両断するものである。
 スタッフの一人は発刊前から息巻いていた。発刊後は捨閉閣抛の道しか残されていないと。もちろん顕正会側の対応である。
 これは正解とも言えるが、厳密には不正解である。捨閉閣抛というのは対象を明確にした上で、捨てよ・閉じよ等とするわけである。
 顕正会はあたかも「迷走する顕正会を斬る」の存在を知らないかのごとく装っている。まさに完全黙殺だ。

 こうも無反応であると当方としても張り合いがない。そこでこの場をお借りして宣伝がてら本書の敷衍を試みたい。
 
 「戒壇の大御本尊は一日として付嘱の人の空白ということがない」と言うのであれば、宗門に「授なく受なし」とする浅井会長は、空白のあり得ないはずの付嘱の人は誰であるとするのだろうか。(「迷走する顕正会を斬る」二七五頁)

 著者の櫻川氏は、「血脈相承授受の否定」との項目を設けて、浅井氏の変節と矛盾を見事に抉り出している。その間、わずか四ページ、氏の筆捌きには脱帽する。
 話は簡単である。平成五年には付嘱の人に空白はないと言っていたのに、平成十一年になって突如として血脈相承の授受を否定してしまったのだ。この変節と矛盾に浅井氏がどう答えるか、私も興味がある。
 顕正新聞を拾い読みしていて、私はふと思った。一日として付嘱の人に空白がないのであれば、いったい誰が付嘱の人なのか。ひょっとして浅井氏は自分自身を付嘱の人だと思っているのではないか。

 大聖人御入滅の御葬送の折に抱かれた日目上人の鉄石の御決意は、大聖人様に対し奉る忠誠心だけであり、最後の天奏に至る命尽くまでの尊きお姿が浅井先生のお姿と重なっては、御入仏式の厳粛な時間の中で七百年前と今が交差し合い、今その源流が先生のところに流れ着いていることにただ粛然としたものであります。(「顕正新聞」平成二十年十月二十五日号)

 久遠元初以来の宿縁のまま、下種三宝尊に仕え奉られた日目上人(中略)のお姿が瞼に浮かぶようでありました。
 そして最後の天奏に旅立たれたお姿は涙なくしては拝し得ず、「我が命よりも御遺命は重し」との死身弘法のその御心は、いま浅井先生のお姿と重なり感無量でありました。(「顕正新聞」平成二十一年十一月二十五日号)

 「遣使還告」のお立場で、国諫に身を捨て給うた日興上人・日目上人の御姿に胸を衝かれ
 「浅井先生は、この一直線上に立っておられる唯一のお方なのだ」(「顕正新聞」平成二十一年十二月五日号)

 聞けば浅井氏は顕正新聞の原稿チェックに余念がないとのことだ。それが事実ならば、この三本の記事も承知していることだろう。とりわけ最後の一文が判り易い。一直線上に立っておられる唯一の・・・とくれば、唯授一人の血脈相承を受けし人、すなわち付嘱の人そのものであろう。(K)